競馬予想の使える裏技
馬はジョッキーの絞知をともにし、ジョッキーは馬の至上のパワーをともにする。
その時鞍上は、比類なぎ刺激と興奮の場、超越の場となる。
「馬が連れてってくれるんだ」とある騎手は回想した。
またS・Dは、全力で駆ける競走馬にまたがっていると「完全にレースに没入し、観客のことなど忘れてしまう。
馬とわたしはともに語り合う。
ほかにはなにも聞こえない」と書いている。
Hは正面玄関に駆けより、乱暴に鍵をあけると、部屋に飛びこんだ。
空っぽの家は彼女を怖がらせ、大家のオウムが暗闇で話しかけてきた時は、あやうく気絶しそうになった。
彼女は2階にあがり、バスルームに閉じこもった。
「彼がいなくなったら」と彼女はその夜のことをふり返っている。
保険もなく、ただ手持ちの金だけでやっていくしかなかった。
仲間の誰かが倒れ帽子を回して金を集める。
Hのような騎手の妻たちは、その額で足りることを祈るし生きることに汲々とし、そのためよけいに締めつけが強まっていた大恐慌のどん底にあって、競走馬が与えてくれる解放感は、PやWのような若者からすると、まさにサイレンの歌声だった。
彼らはその魅力に抗しきれなかったのだ。
騎手は地上に降り立つと、足かせや手かせをつけられたかのように、スローモーションで動いた。
猛スピードのレース中に十倍の興奮を感じていたせいで、感覚的な真空状態に陥ってしまうのだ。
鞍にまたがると、騎手は自身の肉体から解放され、どこまでも自由に、どこまでも生き生きと、地上2.5メートルを航行する。
彼らこそは「極限まで」生きる、ヘミングウェイの闘牛士だった。
遅かれ早かれ今ハグボーイたちは、ほぼ例外なく丘を登っていった。
競馬場から始まる細い未舗装の道をたどって、初めて旅に出る彼らは、とても幼く、そして緊張しているように見えたはずだ。
だが戻ってきた零ハグボーイたちは、半ドルだけ貧乏になり、20分だけ歳をとり、そしてまちがいなく、以前より肩をいからせて歩くようになっていた。
そしてその土産話ときたら!″丘のてっぺん″からは、巨大な軽量コンクリートブロックのビルが、ティファナ、彼らの発音に従うなら″ティーア・フー・アナ″を見下ろしている。
ビルはモリーノロホ、またの名をレッドミル″赤い風車″の本拠地だった。
安っぽいカーペットが敷かれた、世界最古の職業の殿堂である。
それは世界でも群を抜いて巨大な売春宿で、おそらくは最大の成功を収めてもいた。
ティファナの競馬場におおいかぶさるように浮かび上がり、てっぺんには巨大な風車、そして国境の向こうからもはっきり見える、点滅する赤いネオンで着飾ったモリーノロホの建物は、競馬場人種にとって、東方の三博士が仰ぐ北極星のようなものだったに違いない。
朝の調教で騎乗したり、調教で熱くなった馬を厩舎の周りで散歩させたりするたびに、騎手たちは否応なく、街区の約半分を占めるモリーノロホの威容を真下から見上げることになった。
彼らはそこを、″へばった鳩の館″と呼んだ。
モリーノロホにマダムはいなかった。
娘たちがみずから、悪徳資本家並みの較知を駆使して、その場所を運営していたのだ。
競馬場に集う人間の半分が、思春期の激情に囚われた野放図な騒ぎ屋であることは、最初から織りこみずみだった。
少なくとも入場料は「50セントぽっきりだったよ」とある元ハグボーイはふり返っている。
が馬をギャロップさせるギャラと同額だったのは、単なる偶然の一致ではなかった。
丘のてっぺんにたどりついた騎手は、店のおごりでビールをふるまわれる。
そしてめったにないことながら、まだ完全にその気になっていない場合には、館内の映画館にいざなわれ、エキゾティックなポルノ映画で気分をかき立てられる。
娘たちはよりどりみどりで、考えつく限りすべての国籍がそろっており、そのすべてを征服するには、300回ものギャロップをこなさなければならなかった。
客は、特別仕様の寝室が無数に並んだ、長く狭い廊下をくだり、甘いスペイン語の響きで誘う娘たちのなかから、お好承の相手を選び出す。
「あそこを歩いてると、雑貨屋の通路を歩いてるような感じがした」と客のひとりは回想している。
娘たちは客へのサービスを真剣に考えていた。
ビロードの舌遣いヴェルマや巨乳と呼ばれた娘には、なんの説明もいらないだろう。
騎手たちが片翼のAと呼んだ娘は、片腕がなかったにもかかわらず、商売は大いに盛況だった。
ある娘は等ハグボーイに、もし5ドル用意できたら、一生忘れられないものを見せてあげる、ともちかけた。
当時の5ドルといえば、一週間はゆうに暮らせる金額である。
だがそういう状況に置かれたハグボーイに、まともな考え方などできるはずもない。
あっというまにジョッキーの群れが娘の部屋に押し寄せ、5ドル相当の5セント貨や10セント娘に浴びせかけた。
娘はそそくさと裸になると、煙草に火をつけ、独創的な頭脳としなやかな身体に恵まれた娼婦以外、煙草をはさもうなどとは考えもしない場所から煙の輪を吐いた。
それは今ハグボーイたちの人生で最良の一日だった。
「なんという才能だろう!」と目撃者のひとりは回想している。
「あれを見てからは、どうしたって煙草の銘柄を変えないわけにはいかなかった」。
モリーノロホは、ティファナの規範をつくった。
ジョッキーたちは、激しくも高揚した日々を送った。
昼間は馬に乗り、夜になると騒々しいスクラムを組んで街を練り歩く。
そしてモリーノロホになだれこみ、ことが終わるとクラブの酒場、さらには街なかで乱行におよび、くすくす笑う全裸の娘をモーテルの廊下で追いかけ回したり、街いちばんのホテルのルームキーを全部盗承取ったりそのなかにはIとJの顔もあった。
彼らが冬のたびに訪れ、ふるさとと見なしていたのは、不思議なことに誰もが気前のよくなるこの場所だったのである。
毎年、秋から春にかけて、ティファナ競馬場で騎乗することで、彼らは競技者として、男としての自分に磨きをかけていった。
1928年、初めてフルシーズンをともにしたこの年に、WとPは競馬界の話題を独占した。
気むずかしい馬に奇跡を起こす男、という役割がすっかり板についたPは、300回近い騎乗を依頼され、そういう馬を、トータルで2万ドル以上の賞金獲得へと導いた。
彼は53勝を収め、フルタイムで雇われた北アメリカの全騎手のなかで、20位タイの勝率をあげた。
文句なしの成功者である。
だがWはさらに超人的だった。
この世界に入ってまだほんの数か月にもかかわらず、550回以上の騎乗を任され、しかもそのほとんどが最高級のステークス馬だった。
そして百勝以上をあげ、賞金獲得額はトータルで十万ドル・・という勝率は、全騎手のなかで16位タイだった。
ウイークデイワンダーマーマン″平日の驚異″と″金になる男″として、PとWは北アメリカ競馬界の最上段に、しっかりとその名が刻みこまれた。
彼らは入づきあいの面でも、それぞれに存在感を発揮した。
本好きで話がうまく、とっぴなユーモア感覚を発揮するPは、競馬場にいる全員に、当惑交じりではあるが愛された。
彼の周りには、競馬場の変わり者たちが集まった。
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